とにかくピュアな

発達障害で連想した。
私が今まで一番泣けた本です。

小学生の頃「レ・ミゼラブル」でかなり泣いて、それを超えたのがこの本で。
恥ずかしいけども号泣しました。

愛に撃ちぬかれし者

愛に撃ちぬかれし者

この本は、境界性人格障害(だと自ら公表している)の方が書いた「小説」です。(ここで「小説」としたのは、私たちが一般的抽象的に認識している小説とは概念として分けたいからです)
意地悪く言えば、人格障害の人の考え方や、世界観を分析するテキストとしても優れています。
論理的に整合性の合わない箇所があります。(それは「健常者」が書いた小説でときどき批判される「現実味がない」「飛躍しすぎ」とは構造が違うものです)
小説としては荒削りで、人によっては小説ではないと言うでしょうが、それでも出版社が「これを「小説」として出版しよう」と心を動かされたのはよくわかります。

それは、小説としては未完成なのに、小説として一番大切な(ピュアな)部分が突き抜けているからだと思います。

市川拓司さんも言っていたのですが、発達障害の方といのは脳が子供のままなんだそうです。(発達障害人格障害はまた別なのだろうが)
脳の化学物質の分泌が子供のまま大人になってしまった人たち。それはリアルすぎる夢を見るという体験に現れています。

この「小説」を読んだ時も、家でいうならば、土台も骨組みも歪んでいて、何かおかしいのはわかるのに、感情をものすごく揺さぶるのです。
「むきだしの感受性」とか「むきだしの神経」と表現したらいいのか、
そのむきだしの感性が外界に触れて痛くて痛くてたまらないのが、胸に迫るんです。

尾崎豊境界性人格障害だったと言われています。
作家というものも、境界例パーソナリティの範囲か、否かは別として、結局「境界例的な世界を演出するのが上手い」のです。

私たちが大人になっていく過程で、生きていくために覆ってしまった、蓋をしてしまったピュアな感受性というものを、この小説はある意味稚拙ながらも、強烈な形で提示していたと思います。(といっても読んだのが7年くらい前で、今読むとまた違う印象を持つのかもしれません)

自分が忘れかけていたものを心の奥から有無を言わさず引きずり出されて、その鮮やかな自分自身の反応に泣けたのだと思います。