人は一国一城の主なわけで

野田聖子さんの50歳での出産と、お子さんが障害を持っていたことについて、ネット上で凄まじい賛否が繰り広げられている。(ほとんどは否定)

同じ子を持つ母として、なんとも言葉にできない。
私も、自然に子供を持ちたいと思っていたし、子供が授かればそのほかは何もいらない、自分の命と引き換えても、と思うほどだった。
だから、野田さんのなりふり構わない「母になりたい」という欲求はわからないでもない。

結局、その人の心のひだに踏み込むような部分まで、他人はあーだこーだ言うことはできない。
野田さんのブログがあまりにKYだ、能天気だ、と批判されている。
しかし、あくまで表の顔しか私たちにはわからない。
本当に、あのブログの通り、常識を欠いた人の神経を逆なでするような人なのかもしれない。
逆に、自分の弱みを見せないよう強く生きてきた彼女には人生の試練に打ちひしがれた自分を見せることはできないのかもしれず。
陰で泣いているかもしれず。心を裂かれながら、笑うしかないのかもしれず。

人は自分の人生の王様。
前向きに生きていくためには他人から不快に思われようが、思いこまないと生きていけないことが多々ある。
客観的に見たら、自分はみじめだとわかっていても、
「でも○○だから、○○だったから」
「だって○○だったんだもん」
正当化しながら、自分を美化しながら、生きていく。
誰だってあるだろう。

ときに、自分の人生観が思い込みだったと気が付かされて打ちのめされるときもある。

ただ野田さんは医療技術と倫理という視点にとても大きな問題提起をしたわけで、
それを彼女が自ら選び取った以上、はねかえってくるものは彼女がこれからの人生で受け止めていくしかない。
それがわからないほど、バカでもないだろう。